妊娠11週の妊婦健診で、双子と判明。管理入院などで退職

おなかの赤ちゃんが双子だとわかったのは妊娠11週のとき。「双子を授かるとは、夢にも思わなかった」と言います。
――双子とわかったときのことを教えてください。
榊原 結婚して、比較的すぐに妊娠しました。妊娠11週のときの妊婦健診で、超音波検査をしたところ、赤ちゃんが2人見えて医師と同じタイミングで「あれ?」と言ったのを今でも覚えています。男の子とわかったのは、妊娠20週ごろです。
2人の赤ちゃんが同時に来てくれて、お花畑気分だった私に対し、夫は親せきに双子がいたこともあり「双子か~。風邪をひいたりすると大変だな・・・。お金もかかるし・・・」と言っていました。
――妊娠経過はどうでしたか?
榊原 妊娠が判明して1カ月半は、つわりがひどくて入院したり、自宅安静が必要でした。妊娠26週からは、切迫早産(せっぱくそうざん)で管理入院もしました。せっかく頑張って助産師になったのですが、仕事に行ける状況ではなく退職しました。
おなかの張り止めも内服薬では効かなくなり点滴に代わり、血圧も高くなったりして心配がつきなかったです。血小板の減少が原因か、顔にできたできものがつぶれたりすると、なかなか血が止まらなくもなりました。気力・体力ともにどんどん低下していき「私、大丈夫かな・・・。無事に出産できるかな・・・」と不安でいっぱいでした。妊娠26週から出産まで、ずっと管理入院でした。
――出産について教えてください。
榊原 妊娠9カ月に入ったばかりのときに超音波検査をした医師が「1人育ってないね・・・」と言うんです。翌朝、血液検査をしたところ結果がよくなく、医師から「これ以上は、母胎にも赤ちゃんにも負担をかけられないから、今日、帝王切開しましょう」と言われました。
夫は、その日たまたま休みだったので病院に駆けつけてくれました。
私は全身麻酔で帝王切開をしたので、赤ちゃんが誕生するときの様子は全然わからなくて、目が覚めたらおなかがぺちゃんこになっていて、とても不思議な気持ちでした。
――生まれたばかりの赤ちゃんについて教えてください。
榊原 長男は出生体重2030g、身長45cm。二男は出生体重1250g、身長39.5cmでした。呼吸状態がよくなかったので、2人とも生まれてすぐにNICU(新生児集中治療室)に入院しました。
夫は、NICUに向かう廊下で赤ちゃんと面会したようで、私の麻酔が切れて目を覚ましたときに「小さいけど元気だったよ」と教えてくれました。
私が子どもたちと会えたのは、出産の翌日。車いすを看護師さんに押してもらってNICUに会いに行きました。初めて赤ちゃんを見たときは「夫に似てるかも・・・」と思ったものの、「この子たちがおなかにいたんだ・・・」と、出産の記憶がないので、やっぱり不思議な気持ちでした。
別々に泣かれて休むことができない日々。産後うつになるかも・・・

双子の赤ちゃんは、1カ月半ほど入院し、退院後は榊原さんの実家に里帰りをしました。
――赤ちゃんが退院してからの生活について教えてください。
榊原 退院後は3週間ほど私の実家に里帰りしました。ちょうど年末年始と重なり、夫の実家にも10日ほどお世話になりました。
自宅に戻り、夫と私だけで子育てをするようになったのは生後3カ月の少し前ぐらいからです。
――当時のことを教えてください。
榊原 今でこそ「産後パパ育休」の取得が後押しされていますが、私が出産した13年前は社会的にまだそうした雰囲気はありませんでした。そのため夫が仕事に行くと、私が1人で双子の子育てをしていました。
夫は会社員ですが、早番と遅番があり早番のときは朝6時30分に家を出て、帰宅するのは夜8時ごろ。遅番のときは午後3時に家を出て、帰宅するのは翌日の午前11時ごろでした。それでも家にいるときは、子どもたちをおふろに入れたり、おむつを替えたりしてくれました。
夫は私にとって子育てを共にするチームメイトのような心強い存在でした。でも2人同時に泣き出して、どんなにあやしても泣きやまないときやまったく寝てくれないとき、夫と一緒に途方に暮れたこともあります。2人いてもどうしようもないときもあったんです。
振り返るといい思い出です。
――榊原さんは助産師ですが、それでも双子育児は大変でしたか?
榊原 うちの子たちは、夫がいないときに2人同時に泣くことはほぼなかったのですが、別々に泣くので常にどちらかを抱っこしているような状態でした。
ゆっくり休む時間が本当になくて、日に日に疲れていきました。疲れが心と体に重くのしかかってくるような感じでした。このままだと産後うつになるかもしれないと思い、あえてテレビをつけっぱなしにしていた時期もあります。赤ちゃんと私、3人だけの空間になるのがとても怖かったんです。
1歳前に、2人とも同時にRSウイルス感染症になり、二男はぜんそくの発作が出てしまい、2人とも入院することになりました。日ごろの疲れプラス付き添い入院の疲れからか、私も体調を崩してしまい胃腸炎とインフルエンザに同時感染して、本当に大変でした。
――成長に従って、子育ては落ち着いていきましたか?
榊原 歩き出すと、それはそれで大変でした。2人を公園に連れて行くと、2人で別々の行動をするので、けがをさせないように見守って、追いかけて・・・と、乳児期にはない大変さがありました。
でも幸せも2倍です! 2人で「ママ~」と呼んでくれたり、2人で一緒に走ってきて、両手を広げて抱きついてくる瞬間が幸せでした。この子たちのママでよかったと心から思いました。
――多胎育児をしているママ・パパにメッセージをお願いします。
榊原 私が「子育てがやっと落ち着いた」と思えたのは、会話でコミュニケーションがとれて、ごはんを自分で食べるようになり、トイトレが完了した4歳ごろです。
双子を育てているママ・パパは「3歳になったらラクになるよ」と言う人が多いような気がしますが、うちの息子たちは、言葉の発達が遅かったんです。2歳前に「ママ」「まんま」などの1語文が出て、会話でコミュニケーションがとれるようになったのは4歳ごろです。
多胎育児をしているママ・パパは、今は大変で、不安や孤独を感じるかもしれませんが「ラクになった」「落ち着いてきた」と実感できる日が必ず来ます! そして頑張って、この子たちを育ててきてよかったと思えることが必ずあります! そんな日が絶対来ると信じてほしいと思います。
お話・写真提供/榊原綾子さん 協力/一般社団法人あいち多胎ネット 取材・文/麻生珠恵、たまひよONLINE編集部
榊原さんが助産師の仕事に復帰したのは、子どもたちが2歳になってからです。「双子で大変だからと、仕事を辞めなくてよかった」と言います。
インタビューの後編は、子どもたちの成長やあいち多胎ネットの活動、訪問看護で多胎家庭を支える取り組みについて紹介します。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年12月の情報であり、現在と異なる場合があります。