24歳で乳がんで右乳房を全摘、恋愛に臆病になっていた時期も。「生きてさえいてくれればいい」と言ってくれたパートナーと前を向く【元日本テレビ記者・鈴木美穂】

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24歳のときに、右胸にステージⅢの乳がんが見つかった、元日本テレビ記者、キャスターの鈴木美穂さん。鈴木美穂さんは現在認定NPO法人マギーズ東京 共同代表理事を務めています。
24歳で右乳房全切除の手術を受けた鈴木美穂さんは、一時は、恋愛に臆病になっていたそうです。しかし、当時パナソニックに勤めながら大手企業の若手・中堅ビジネスパーソンによる企業変革に取り組むコミュニティ「ONE JAPAN」の代表を務める濱松誠さんと出会い、34歳の誕生日前日に入籍。「子どもをもつことは無理だ」と考えていた鈴木美穂さんですが、しばらくして第1子を授かりました。鈴木美穂さんに、濱松さんとの出会いや妊娠・出産について聞きました。
全3回インタビューの2回目です。友人主催の勉強会で彼と出会う
鈴木さんが、夫の濱松誠さんと出会ったのは、乳がんの手術を受けて8年がたったころでした。
――夫の濱松誠さんとの出会いについて教えてください。
美穂さん(以下敬称略) 夫と出会ったのは、2016年です。友人主催の勉強会に参加して出会いました。
でも当時の私は、恋愛に臆病になっていたんです。「いいな~」と思う人ができて交際が始まりそうなタイミングで、乳がんや手術のことを正直に伝えると、急に連絡が途絶えてしまうこともありました。「大変だったね。でも一緒に向き合う自信がない」と言われたこともありました。
そうした経験をするうちに、恋愛に対して臆病になっていきました。
――夫の濱松さんは違ったのでしょうか?
美穂 勉強会で彼から声をかけられたとき「〇〇のインタビュー記事を読みました」と言われたんです。そのインタビュー記事には、乳がん治療のことが書かれていたので、「彼は、私のことをもう知っているんだ!」とわかり、気持ちがラクになりました。
それから電話やSNSでやりとりをするようになり意気投合して、さらに連絡を取り合うようになりました。
――濱松さんは、乳がんや手術のことをどのようにとらえていますか。
美穂 彼はインタビュー記事を読んで、私の乳がんや手術のことは知っていたのですが、改めて伝えると「俺は父親がいない家庭で育って、それがずっとコンプレックスだったよ。人はだれでも表には見えなくても、何かしら事情を抱えているもの。美穂も相当大変だっただろうに、その経験を他人のためにいかそうと頑張っていることを誇りに思う」と言ってくれたんです。
当時、私はがんを経験した人とその家族、友人などが気軽に集える場「マギーズ東京」のオープンに向けて活動していました。
彼からの言葉を聞いて「やっぱりこの人しかいない!」と思いました。続きを読む