前置胎盤で入院後、妊娠高血圧腎症で目が見えにくくなり・・・

「子どもは2〜3人欲しいね」と、話していたかおりさんと慎弥さんは、結婚してすぐ病院で妊活のための検査をしました。
「私も30歳を過ぎていましたし、彼も脊髄損傷があるので、体外受精・顕微授精の不妊治療をスタートすることにしました。でも自宅近くにはクリニックがなく、大阪まで片道2時間以上かけて、25回以上通う生活は心身ともに大変でした。2015年冬から不妊治療をスタートして、長女を妊娠したのは2019年2月。3年ほどかかって妊娠がわかったときは、本当にうれしかったです。
妊娠3カ月を過ぎたころから、地域の産科クリニックで妊婦健診を受けていたのですが、妊娠20週、妊娠6カ月のころに前置胎盤だと判明。大学病院を紹介してもらって転院し、妊娠30週になった8月下旬から管理入院になりました」(かおりさん)
前置胎盤は、胎盤が子宮口を覆ったり、その近くに位置している状態です。子宮口を覆ってしまっているため経腟分娩はできず、ほとんどが予定帝王切開で出産することになります。前置胎盤は早産になるリスクもあるため、1日でも長く赤ちゃんがおなかにいられるように入院して安静にしていたかおりさんでしたが、ある日体調に異変が。
「妊娠高血圧腎症を発症してしまいました。私はあまり自覚がなかったんですが、入院してから体重が1日1kgずつ増えていき、入院5日目くらいに医師から『このまま血液と尿の検査結果が悪ければ出産になります』と言われました。
妊娠高血圧腎症は、腎臓の機能が低下して尿の量が減り、体に水がたまるために体重が増えていくのだそうです。前置胎盤で入院したはずが、妊娠高血圧腎症にもなってしまって・・・とにかく1日も長く赤ちゃんをおなかにいさせてあげたい、その一心で安静にしていました。
そんなある朝、目が覚めたら視力がめちゃくちゃ低下していたんです。目の前がぼんやりして、10cmくらいの距離まで近づかないとわからないくらい。目の検査をしても原因はよくわかりませんでした。
そしてその日の夜、トイレに立ってベッドに戻ったところ急に呼吸ができなくなってしまったんです。必死にナースコールを押して、かけつけた看護師さんや医師がポータブルレントゲンで検査すると『肺に水がたまっているからすぐに緊急帝王切開します』と言われました」(かおりさん)
かおりさんは妊娠高血圧腎症によって肺に水がたまり、呼吸困難になってしまったのです。慎弥さんは連絡を受けてすぐに病院に駆けつけました。
「病院に着いた夫は、酸素マスクをつけた私を見て、かなり心配しているようでした。あとから聞きましたが、私のことも赤ちゃんのことも心配でたまらなかったそうです」(かおりさん)
出産後、母はICU、娘はNICUに入院

呼吸困難になってから3時間後、下半身麻酔を受けて帝王切開出産となったかおりさん。9月2日の深夜、体重1412gの女の子が誕生しました。
「私は目が見えにくかったので、生まれたばかりのわが子の顔を見ることはできませんでしたが、看護師さんが娘を私の顔近くに連れてきてくれ、一緒に写真を撮ってくれたことを覚えています。とっても小さな産声も聞こえました。小さく生まれた赤ちゃんが泣くと思っていなかったので、『BGMで猫の鳴き声が流れているのかな?』なんて思っていました。
情報が耳からしか入ってこない状態で、今自分の身に何が起こっているのか、赤ちゃんがどんな様子かもわかりません。見えないことがこんなに不安なんだと初めて知りました」(かおりさん)
出産後、かおりさんは肺の治療のためICU(集中治療室)に4日間入院し、赤ちゃんはNICU(新生児集中治療室)に入院。慎弥さんは毎日、NICUにいる娘とICUにいる妻、2人のお見舞いに通いました。かおりさんが、赤ちゃんに次に会えたのは一般病棟にうつった翌日、産後5日目のことでした。
「私も酸素や点滴などがついた状態でふらふらしていましたが、看護師さんに車いすを押してもらってNICUへ行きました。目がよく見えなかったので、保育器に手を入れて触れてみて、ようやく『赤ちゃんを産んだんだ』と実感しました。小さな体はとてもあたたかかったです。
私がICUに入院中、何度も不思議な夢を見ました。保育器に入った娘が、ICUにいる私のところに遊びに来て『大丈夫だから。行ってくるね』とまた帰って行くんです。『ママも一緒に頑張ろうね』と言われているようでした。夢で何度も会っていたわが子ですが、実際に小さな体のあたたかさを感じ、『やっと会えた』と思いました。ひまわりのように明るく元気な女の子になるようにと思いを込め、“ひなの”と名づけました。」(かおりさん)
お話・写真提供/小島かおりさん 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
夫の慎弥さんは車いすバスケットボールチーム「LAKE SHIGA BBC」の選手として活躍しています。オンライン取材時も同席し「出産時は、妻のただならない様子にとても心配だった」と話してくれました。
後編の内容は、ひなのちゃんの成長や、かおりさんがリトルベビーサークルを立ち上げたことなどについてです。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年4月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。